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セリカこそ「世界のトヨタ」最大の功労車だ! ラリーで名を轟かせた7台とは

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トヨタの世界的イメージアップを創り上げてきたセリカ

 トヨタ・セリカは、1970年の12月に初代モデルのA20系が登場。77年に2代目A40系にモデルチェンジされた、6気筒エンジンを搭載する上級モデルは、やがてスープラと名を変えてグループAによる全日本ツーリングカー選手権(JTC)や全日本GT選手権(JGTC=SUPER GTの前身)で活躍。レーシングカーとしての名声を築くことになりました。一方、本流である4気筒のセリカも、すべての世代がレースやラリーなどモータースポーツで活躍していきました。トヨタはセリカでWRCはもとよりラリーの活躍を通して世界中に名を馳せていった

 今回は4気筒のセリカにスポットを当て、特にラリーでの活躍を振り返ることにしましょう。

 

【初代A20系セリカ】バランスの取れたシャシーが大きな武器に

 1970年に登場した初代のA20系は、当時としては特別なメカニズムとされていたツインカムの2T-Gエンジンをラインナップ、またユーザーの好みに応じる“フルチョイス”システムが注目されたスペシャリティカーでしたが、実はバランスの取れたシャシー性能が大きな武器でした。そのためにレースでも1600ccクラスの王座に就くことになりましたが、ラリーでも頭角を現すことになります。トヨタはセリカでWRCはもとよりラリーの活躍を通して世界中に名を馳せていった

 メジャーデビューとなったのは、まだ世界ラリー選手権(WRC)が制定される前、72年のRACラリー(現ラリー・ブリテン)でした。本格的なチューニングが施される前で“ノーマルに近い”仕様でしたが、後にTTEを主宰するオベ・アンダーソンのドライブで総合9位/クラス優勝を果たしています。

 76年には2Lのツインカムエンジンを搭載したグループ4仕様のRA20がデビュー。スポーツオプションの16バルブ・ヘッドを組み込んだ18R-G改は230馬力を発生していました。

 

【2代目A40系】16バルブ・ヘッドがお預けとなり苦戦

 ベースモデルのモデルチェンジを受け、WRCの主戦マシンも78年の1000湖ラリー(現ラリー・フィンランド)から2代目のRA40に移行しました。77年末で16バルブ・ヘッドの公認が切れ、RA40は当初、8バルブ・エンジンを搭載したグループ2仕様での参戦となり、アンダーパワーに苦しめられます。しかし再度、16バルブ・ヘッドの使用が許可されて80年からはグループ4仕様での参戦となりました。トヨタはセリカでWRCはもとよりラリーの活躍を通して世界中に名を馳せていった

 ただしアウディ・クアトロを筆頭に4WDが勢いを増していく中、リア2輪駆動では苦戦が続き、81年のアイボリーコーストと82年のポルトガルでの2位がWRCにおけるベストリザルトとなり、その82年のポルトガルで現役を退いています。

 

【3代目A60系】グループBに移行 後輪駆動でサファリ・マイスターに

 WRCの主役がグループ4からグループBへと移行した80年代の初頭に、81年7月のモデルチェンジに合わせてラリーカーも2代目から3代目のA60系に移行。レギュレーションの端境期とあって当初はグループ4のRA63で数戦に参戦し、モトガード・ラリー(現・ラリー・ニュージーランド)で期待の新型車両、TA64がデビューしています。先代モデルと最大の相違点はエンジンです。トヨタはセリカでWRCはもとよりラリーの活躍を通して世界中に名を馳せていった

 そのタイプ名からも分かるように搭載されるエンジンが18R-Gから4T-GTEUへと、同じ直4ながらR型からT型にコンバートされていたのです。4T-GTEUのベースとなったのは3T-GTEUですが、ターボ係数をかけて2507ccとなるようにボアが0.5ミリだけ拡大されていました。排気量によるクラスが2500㏄で区切られていて、クラスを超えての排気量の拡大は規定上認められていないために、ターボ係数をかけて2478㏄となる3T-GTEUには事実上、排気量を拡大する余地がなかったのです。トヨタはセリカでWRCはもとよりラリーの活躍を通して世界中に名を馳せていった

 こうして誕生したセリカGT-TS(TA64)は、先代モデルから得意としてきたアフリカンラリーに特化した優位性を発揮して、84年にビヨルン・ワルデガルドが優勝を飾り86年まで3連覇を飾っています。

 

【4代目T160系】プラットフォームを一新し待望の4輪駆動を手に入れる

 グループBが86年限りで終焉を迎え、翌87年にはWRCの主役がグループAに交代することになりました。スープラのショートリリーフを挟んで、再び、トヨタのWRC主戦マシンとしてセリカが登場します。トヨタはセリカでWRCはもとよりラリーの活躍を通して世界中に名を馳せていった

 3度目のモデルチェンジを経て85年に登場した4代目セリカ(T160系)は、プラットフォームを一新。それまでのFRからフロントに横置きしたエンジンで前輪を駆動するFFにコンバートされていました。そして翌86年には待望の4WDがラインナップされています。GT-FOURと呼ばれる4WDモデルをベースにしたラリーカーが開発されたのです。エンジンも一新され、新世代の3S-GTEを搭載。トヨタはセリカでWRCはもとよりラリーの活躍を通して世界中に名を馳せていった

 88年のツール・ド・コルスでデビューしキプロス・ラリーで初優勝を飾っています。90年には年間5勝。うち4勝したカルロス・サインツが王座に就いています。

 

【5代目のT180系】念願のマニュファクチャラー・タイトルを獲得

 セリカとしては5代目、GT-FOURとして2代目となるT180系は、市販モデルが89年の9月に登場。主に国内競技(ラリー)に参戦するためのベースモデル、GT-FOURラリーもラインナップされていました。ST165が頑張って好成績を残し続けていたこともあり、ST185のWRCデビューは92年まで待たされることになりました。

 この間、90年の8月には市販モデルにブリスターフェンダーを装着してボディ幅を拡げたGT-FOUR Aが登場していますが、WRC参戦車両は、このワイドボディをベースにすることで、タイヤ戦略などの面で優位に立つことができました。トヨタはセリカでWRCはもとよりラリーの活躍を通して世界中に名を馳せていった

 92年にデビューするとサファリで初優勝を飾り、以後もニュージーランド、カタルニア、RACと都合4勝を挙げたサインツが2度目のドライバーチャンピオン輝いています。さらに翌93年にはユハ・カンクネンがドライバーチャンピオンに輝き、念願だったマニュファクチャラー・タイトルも獲得しています。

 

【6代目のT200系】足まわりセットアップに苦労した悲運のラストランナー

 偉大なる父親や創業者に対して、子供や2代目社長が厳しい評価を受けるのは世の常ですが、GT-FOURの3代目、セリカでは6代目となるT200系にも、それが当てはまったようです。T200系の特徴となっていたスーパー・ストラット(SS)サスペンションですが、市販モデルではハンドリングレベルを引き上げていると高評価されたものの、WRCの競技車両ではセットアップに苦労してしまいます。トヨタはセリカでWRCはもとよりラリーの活躍を通して世界中に名を馳せていった

 そして実戦デビューも市販モデルの登場から10か月後、94年8月の1000湖が予定されていましたが、FIA2リッターワールドカップ戦に過ぎないオーストラリアにずれ込んでしまいました。デビューして以降も精力的な開発が続けられましたが初優勝は翌95年のツール・ド・コルスまで待たなければなりませんでした。そして同年のカタルニアで車両規定違反により失格となりそのまま活動を休止。現役生活はわずか2年間、悲運のWRCラストランナーとなってしまいました。トヨタはセリカでWRCはもとよりラリーの活躍を通して世界中に名を馳せていった

【7代目のT230系】2Lターボ・4WDが消えたもののJRCの2駆部門で奮闘

 99年の9月にセリカは最後のモデルチェンジを経て7代目のT230系に移行しました。97年からワールド・ラリー(WR)カー規定が導入されていたWRCに向けてはカローラがベースのWRカーがデビューしていましたし、なによりも市販モデルにGT-FOURはラインナップされていませんでした。トヨタはセリカでWRCはもとよりラリーの活躍を通して世界中に名を馳せていった

 しかし、ボディをコンパクトにして前輪駆動と割り切ったことで、大幅な軽量化が達成されたT230系は、全日本ラリー選手権(JRC)の2輪駆動部門に参戦して存在感をアピールすることになりました。そしてT230系は2006年に販売終了となり、初代から7代目まで、すべての世代がラリーで活躍したセリカの、36年の歴史に幕を下ろすことになりました。

元の投稿: Auto Messe Web
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