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スーパーカーブームでは「悪役」の「パンテーラ」は1000万円! 再評価の理由はダラーラが設計したから【スーパーカー列伝04】

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イタリアのデザインにアメリカンV8を積んだスーパーカー

1970年代中ごろ、子どもたちの周りにあるさまざまなモノがクルマ関連グッズと化した空前絶後の「スーパーカーブーム」は、池沢早人師さんによる漫画『サーキットの狼』をきっかけとして巻き起こりました。当時の子どもたちを熱狂させた名車の数々を振り返るとともに、「今もし買うならいくらなのか」、最近のオークション相場をチェックしてみましょう。今回はデ・トマソ「パンテーラ」です。

1万ドル弱という驚きの安さでデビュー

ミッドシップスポーツカーの「ヴァレルンガ」(1964年発表/フォード製直列4気筒エンジン搭載)、「マングスタ」(1966年発表/フォード製V型8気筒エンジン搭載)に続く、デ・トマソ3台目の市販車として1970年に発表された「パンテーラ」は、アメリカにおけるスーパーカービジネスを計画したフォードとデ・トマソの提携によって誕生した異色のスーパーカーだ。

ビッグメーカーであるフォードの要請でデ・トマソが生産し、フォードブランドのリンカーン・マーキュリーのディーラー網で売ることが計画されたため、年間販売台数5000台以上というスーパーカーとしては異例の数字が目標として掲げられた。

大規模プロジェクトであったため、シャシーの設計はランボルギーニから引き抜かれたジャン・パオロ・ダラーラが担当。シャシーは先代のマングスタではバックボーンフレームだったが、パンテーラは鋼板を溶接で組み上げたフレームビルトインタイプのセミモノコックが採用された。

エクステリアデザインは、当時デ・トマソの傘下であったカロッツェリア・ギアにオーダーしたが、チーフデザイナーのジョルジェット・ジウジアーロがすでに独立していたため、後任となったアメリカ人のトム・チャーダが担当した。

1万ドル切りの9995ドルというスーパーカーとしては安価なプライスで販売が開始され、1971年には1008台、1972年には1975台が生産された。計画台数には及ばなかったものの、当時の状況を考えれば上出来であった。

その後、デ・トマソは1973年の春にパンテーラの生産とすべての権利をフォードに売却。しかしオイルショックの影響もあり、1974年の生産台数はわずか572台だった。フォードは1975年にパンテーラの販売を中止。デ・トマソはパンテーラの生産とすべての権利をフォードから買い戻し、独自に生産/販売を続け、何度かのモディファイを実施しながら1990年代初頭までにトータルで7298台を生産したといわれている。

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スーパーカーブームでは「悪役」の「パンテーラ」は1000万円! 再評価の理由はダラーラが設計したから【スーパーカー列伝04】

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