今から60年前、一台の小さなクルマが、名機「隼」「疾風」を送り出した航空機メーカー、「中島飛行機」をルーツに持つ「旧富士重工業(現スバル)」から送り出された。それが今なお国産車史上最高傑作と名高いスバル360だ。軽自動車という制約の多いサイズながらも大人四人を乗せて走ることが出来き、価格はクラウンの半分以下、このとき日本人は念願の自家用車の所有が叶ったのである。
時は高度経済成長期、未曽有の経済発展の中、サラリーマンの所得も年々上昇し、クルマも次第に安価なものからより装備の充実したデラックス化が求められ、所謂「マイカー族」も軽自動車からより上位の本格的小型大衆乗用車を求めるようになった。