私たちの暮らす住宅は、かつてないほど「高気密・高断熱」へと進化しています。省エネルギー性や人間の快適性という点では歓迎すべき流れですが、ペットにとっても同じとは限りません。
空気が滞留しやすい密閉空間は、ハウスダストやカビの胞子、揮発性有機化合物(VOC)などが蓄積しやすい環境でもあるからです。
2020年、英国で2歳の幼児アワブ・イサクちゃんが、公営住宅のカビによる重度の呼吸器疾患で亡くなるという痛ましい事件が起きました。この悲劇は、単に住人の掃除不足や換気不足といった「個人の責任」に帰結させるのではなく、建物の構造的な欠陥や管理者の責任を問う「Awaab’s Law(アワブ法)」の制定へと繋がりました。
この出来事は、私たちペットオーナーにも重要な問いを投げかけています。「私たちの家の空気は、言葉を話せないペットにとって本当に安全なのか?」と。
人間よりも体が小さく、代謝が早く、そして一日の大半を室内で過ごす犬や猫たち。彼らは私たち以上に「室内空気質」の影響をダイレクトに受けています。
今回は、見過ごされがちな室内環境汚染のリスク、飼い主ができる現実的な対策と住環境を選ぶ際の新たな視点を新たな視点を示します。

なぜペットは「炭鉱のカナリア」なのか?
かつて炭鉱では、有毒ガスをいち早く察知するためにカナリアが連れられていました。同じように、犬や猫は家庭内の環境汚染に対して、人間よりも早く不調という形で反応することがあります。そこには、明確な生理学的・行動学的理由があります。
呼吸器の特性と代謝速度
安静時の呼吸数は、人間が1分間に12〜20回程度であるのに対し、犬は15〜30回、猫は20〜30回以上とされています。体重あたりの換気量も多いため、空気中に有害物質が含まれている場合、短時間でより多くの物質を体内に取り込んでしまう可能性があります。
「重力」による汚染物質の蓄積
多くの化学物質やハウスダスト、アレルゲンは、空気中を漂った後、最終的に床付近に沈降します。また、一部の揮発性有機化合物(VOC)は空気よりも重く、床上30㎝以内に滞留しやすいことが知られています。人間と犬・猫では呼吸する高さが大きく異なり、彼らは汚染物質が最も集まりやすい「危険地帯」で生活しているのです。
グルーミングによる経口摂取
犬や猫は日常的に被毛を舐めて整えます。空気中から被毛に付着した化学物質やカビの胞子、タバコ由来の微粒子(三次喫煙)は、グルーミングによって体内へ取り込まれます。これは吸入に加え、もう一つの曝露経路を持つことを意味します。
忍び寄る「見えない敵」の正体
では、具体的にどのような物質がペットの健康を脅かしているのでしょうか。獣医学や環境科学の知見から、特に注意すべき要因を整理します。
命を脅かすカビ(真菌)
英国のアワブちゃんの事例でも焦点となった「カビ」は、ペットにとっても深刻な脅威です。湿度の高い環境で発生するカビは、マイコトキシン(カビ毒)を産生したり、大量の胞子を空気中に放出します。これらを吸入することで、犬や猫はアレルギー性気管支炎や皮膚炎、重篤な場合には真菌性肺炎を発症するリスクがあります。特に短頭種や免疫力が低下したシニアペットでは、呼吸器への影響が深刻化しやすいことが指摘されています。
芳香剤と化学物質の落とし穴
人間が「心地よい香り」と感じるものが、必ずしもペットに安全とは限りません。
【揮発性有機化合物】
建材、塗料、新しい家具、床ワックスなどから放散されるホルムアルデヒドなどは、ペットの粘膜を刺激し、「シックハウス症候群」と同じような症状(目の充血、咳、無気力)を引き起こします。
【香料・精油】
近年、柔軟剤やルームフレグランスの香りが強くなっていますが、特に猫は肝臓の解毒機能(グルクロン酸抱合)が弱く、特定の精油(ティーツリー、柑橘系など)や化学香料を分解できずに中毒を起こす事例が報告されています。
【家庭用洗剤】
塩素系漂白剤や強力な界面活性剤を含む洗剤の残留成分は、肉球を通じて吸収されたり、舐めることで体内に入るケースもあります。
「飼い主の責任」と「建物の責任」の境界線
ここまで読むと、「もっと掃除や換気を徹底しなければ」と自分を責めてしまう方もいるかもしれません。しかし、英国の議論が示すように、個人の努力だけでは解決できない問題も存在します。
ペット可物件の落とし穴
日本において「ペット可」とされる物件の多くは、「飼育を許可する」という契約上の意味合いしか持ちません。「ペットが健康に暮らせる設計」とは必ずしも一致しません。
例えば、断熱性能が不十分な住宅では、冬場に窓枠や壁の内部で結露が発生しやすくなります。表面上は乾いて見えても、壁紙の裏側や床下といった目に見えない場所で湿気が滞留し、カビが慢性的に繁殖するケースは少なくありません。こうした状態は、いくら日常的に掃除や換気を心がけていても、居住者の努力だけで根本的に改善することは困難です。
また、本来は室内の空気を循環・排出するはずの24時間換気システムが、設計上の問題やメンテナンス不足によって十分に機能していない物件も存在します。給気口や排気口の位置によっては、空気が一部の空間に滞留しやすく、床付近──すなわち犬や猫が長時間過ごす生活圏に、汚染物質が溜まり続ける構造になっている場合もあります。
さらに、床材や接着剤に含まれる化学物質の放散量が多い場合、時間の経過とともにVOCが室内空気中に放出され続けます。これらは見た目や匂いだけでは判断しにくく、拭き掃除や空気の入れ替えだけで完全に除去することはできません。こうした問題は、個々の飼い主の生活習慣というより、建物そのものが抱える「構造的リスク」と言えるでしょう。
賢明な飼い主がとるべき「防衛策」
住環境そのものに構造的な制約があることを理解したうえで、私たち飼い主にはなお、ペットの健康リスクを下げるためにできる現実的な選択があります。重要なのは、「完璧を目指す」ことではなく、どこにリスクが潜みやすいのかを知り、影響を最小限に抑える判断を積み重ねることです。
「湿度」を管理し、感覚ではなく数値で判断する
カビやダニの発生を抑える基本条件として、湿度40〜60%がひとつの目安とされています。これは単なる快適性の指標ではなく、ウィルスや真菌が増殖しにくい環境条件に基づく数値です。
注意したいのは、人間が「ちょうどいい」と感じる湿度と、ペットが実際に過ごしている環境が一致しない点です。暖かい空気は上に溜まりやすい一方で、床付近の空気は建材に触れて冷やされやすく、同じ水分量でも相対湿度が上昇しやすくなります。その結果、床に近い空間では、人が感じる環境以上に湿気がこもり、カビが発生しやすい条件が整うことがあります。
このズレを把握するためには、温湿度計をペットの生活圏に近い高さに設置し、「感覚」ではなく「数値」で状況を把握することが有効です。また、乾燥を恐れるあまり加湿しすぎると、断熱性の低い窓や壁で結露が発生し、かえってカビの温床をつくってしまうこともあります。湿度管理とは、加湿と除湿のどちらか一方ではなく、季節と住宅性能に応じて微調整し続ける行為だと言えるでしょう。
足元の空気」に意識を向ける
空気清浄機を導入している家庭は増えていますが、その効果は設置場所や考え方によって大きく左右されます。多くの汚染物質は時間の経過とともに床付近へ沈降するため、人の呼吸域では問題がなくても、犬や猫が長時間過ごす生活圏では、空気の質が大きく異なっている場合があります。
重要なのは、「部屋全体をきれいにする」という発想から一歩進み、ペットが呼吸している高さの空気を、いかに効率よく循環・浄化できているかを考えることです。床に近い位置の空気をしっかり吸い込み、微細な粒子まで捕集できるHEPAフィルター搭載機が推奨される理由も、ここにあります。
集塵性能を判断する際には、米国家電協会(AHAM)が定めた「CADR(Clean Air Delivery Rate)」と呼ばれる指標が一つの目安になります。これは、花粉・粉じん・煙といった粒子を、どの程度の速度で除去できるかを数値化したもので、脱臭能力とは異なる「空気中の粒子を取り除く力」を客観的に示します。
空気清浄機は決して万能ではありません。しかし、設置位置と性能指標を理解したうえで正しく使えば、住環境が抱える構造的な限界を補う「緩衝材」として、確かな役割を果たします。
清潔=安全とは限らない掃除の落とし穴
床は、ペットが最も長く接触する場所です。にもかかわらず、人間向けの感覚で選ばれた洗剤や芳香製品が、無意識のうちにリスクを高めていることがあります。
揮発性の高い洗剤成分は、使用直後だけでなく、乾燥後も空気中に放散される場合があります。さらに、床に残留した成分は肉球を通じて吸収されたり、グルーミングによって体内に取り込まれたりします。人間には問題にならない微量でも、体の小さな動物にとっては無視できない曝露量となる可能性があります。
こうしたリスクを減らすためには、洗浄力の強さや香りではなく、「残留しにくさ」という視点で掃除方法を見直すことが有効です。重曹や電解水、高温スチームで汚れと雑菌を除去するスチームクリーナーといった方法は、化学物質への曝露を抑えながら清潔を保つ現実的な選択肢となります。
住環境に「要求する力」を持つ
賃貸住宅では、建材や換気性能、過去のカビ発生歴といった情報が十分に開示されないことも少なくありません。そのため、住環境の問題は「住んでから気づく」ものになりがちです。
しかし、ペットの健康を理由に住環境について質問することは、決して過剰な要求ではありません。24時間換気の有無や窓の断熱性能、過去の漏水事故の有無を確認することは、トラブルを未然に防ぐための合理的な行動です。
持ち家であれば、リフォームや設備更新の際に「滑りにくさ」や「掃除のしやすさ」だけでなく、化学物質の放散量や空気循環といった視点を加えることで、ペットにとっての住みやすさは大きく変わります。
住環境を選ぶ・問い直すという行為そのものが、ペットの健康を守るための重要な防衛策なのです。
守れるのは、あなただけ
「たかが空気、されど空気」。
毎日吸い込む空気が汚れていれば、どれほど食事や医療に気を配っても、健康の土台は揺らいでしまいます。
アワブちゃんの事例が示したのは、空気の質は健康への基本的権利であるという事実です。それは、家族であり共に生きるペットたちにも当てはまります。
愛犬や愛猫は「この部屋、空気が悪いよ」と言葉にできません。咳き込んだり、皮膚を痒がったりする症状は、彼らが発するSOSのサインかもしれません。
今日から、少しだけ目線を下げてみてください。彼らが吸っている空気に思いを馳せ、できることから整えていく。その姿勢こそが、飼い主の責任であり、深い愛情なのです。
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家の空気がペットの健康を蝕む? 見落とされがちな「室内環境汚染」
