キングダム 人物紹介
名前:呂不韋(りょふい)
元は商人にでありながら頭脳だけで出世した偉人。
秦(せい)国の右丞相(うじゅうしょう)を経て、さらには相国(しょうこく)まで登り詰める。
配下には呂不韋四柱(りょふいしちゅう)と呼ばれる有能な部下を従える。
呂不韋四柱・・・昌平君(しょうへいくん)・蔡沢(さいたく)・李斯(りし)・蒙武(もうぶ)の4人を指す
キングダム前の呂不韋の歴史
呂不韋と子楚(政の父)との出会い
紀元前262年。
キングダムが始まる17年前。
呂不韋(りょふい)は趙(ちょう)国の商人であった。
商の才に溢れ「金を使って欲望を操り全てを手に入れる」と野望を抱く。
そこで呂不韋の人生を決める人物と出会う。
その名は子楚(しそ)。
のちに第30代秦王になり、荘襄王(そうじょうおう)と呼ばれる人物である。
子楚(しそ)は王の血を受け継ぐ人物。
しかし子楚の父である孝文王(こうぶんおう)には20人もの子がいた。
加えて、子楚の母である夏姫(かき)は孝文王に好かれていなかった。
そのため、子楚も愛されておらず、外交目的で趙国の人質にされていた。
そんな子楚を見て呂不韋は呟く。
「これは珍しい価値を生み出す品物(人物)だ。我々が投資すべきだ」と。
この呂不韋の言葉はことわざなって現代に残る。
「奇貨(きか)居(お)くべし」
奇貨(きか)・・・「珍しい品物」という意味
居(お)く・・・「買い入れる」という意味
呂不韋の成り上がり陰謀
その頃、秦(しん)の太子(たいし)は孝文王(こうぶんおう)であった。
太子とは王位を継ぐ者。
(王位にいたのは昭王(しょうおう))
その孝文王に最も気に入られていたのは華陽(かよう)夫人。
しかし華陽夫人には子供がいないことを呂不韋は知る。
呂不韋は華陽夫人に近づき告げる。
「あなたと高齢の孝文王(こうぶんおう)の間には子がいない。孝文王が亡くなった後は、あなたの立場は危うい」
子楚を養子するように仕向けた。
これにより養子に向かえられた子楚は太子になる。
そして子楚との関係を密にするため、自分の恋人である 趙姫(ちょうひ)(太后(たいこう))を子楚に近づける。
これで呂不韋は子楚に「美女を紹介してくれた大切な友人」と思い込ませた。
そして・・・ 子楚と趙姫の間に子を授かる。
紀元前259年・・・後に秦の始皇帝となる嬴政(えいせい)が生まれる。
不測の事態も呂不韋は好機と捉える
紀元前258年。
秦(しん)が趙(ちょう)を攻め王都である邯鄲(かんたん)を包囲した。
そこで趙は人質になっていた子楚(しそ)の殺害を決定する。
この不測の事態を呂不韋(りょふい)は好機と見る。
呂不韋は趙の役人に賄賂(わいろ)を渡し、子楚を秦に逃がすことに成功させる。
子楚にとって呂不韋は”命の恩人”になり、より親密な関係を築くことになった。
この時、秦国に逃がせたのは子楚のみであり、趙姫(ちょうひ)(太后)と政(せい)は趙に取り残されることになる。
呂不韋は秦の丞相に就任
紀元前250年。
戦神(いくさかみ)と呼ばれ六将を作った第28代秦王である昭王(しょうおう)が死去する。
すると孝文王(こうぶんおう)が第29代秦王となり、子楚(しそ)は太子に選ばれる。
しかし孝文王はなぜか即位してから3日で死去し、子楚が第31代秦王となる。
同時に政が太子になり、趙からの脱出計画が始まる。
子楚に気に入られていた呂不韋は商人でありながら、”金で欲望を操り”秦の丞相の地位まで登り詰めた。
しかし・・・呂不韋の野望はここでは終わらない。
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【呂不韋物語】キングダムが始まる前の呂不韋の歴史