観光地で見かける野生動物への餌やりは、一見すると心温まる行為のように見えます。しかし、その「優しさ」が動物の生態系や地域社会に深刻な影響を及ぼすことが世界各地で指摘されています。観光地では、この記事のように、観光客が野生の猿に餌を与える光景が後を絶ちません。警告看板が設置されているにもかかわらず、多くの人が「かわいそうだから」「喜ぶ顔が見たいから」と餌を与え続けてしまうのです。その結果、猿たちは人間に依存し、本来の採餌行動を失い、ときに攻撃的になるなどの問題が発生しています。

こうした問題は、私たちの身近にも存在しています。道端や公園で見かける野良猫や野良犬に餌を与える人々の行動が、それにあたります。善意から始まったこの行為は、なぜ問題とされながらも繰り返されるのでしょうか。その背景には、人間の内面に根ざした深い心理的動機が隠れています。
空腹そうな犬や猫を見れば、「かわいそう」「助けてあげたい」という気持ちが自然と湧き上がります。特に、高齢者や孤立した生活を送る人々にとって、野良動物とのふれあいは、日常の中で数少ない“心が通じる”瞬間であり、精神的な癒しとなることがあります。自身の孤独や不安を、同じようにひとりぼっちの動物に重ね合わせ、守ってあげたいという気持ちが、餌やりという行動につながるのです。
単に感情的な行動とどまりません。餌を与えた動物が自分になつき、待っていてくれることに喜びを感じる人も少なくありません。そうした“つながり”の実感が、自己肯定感や存在意義の再確認に結びつくという点で、餌やりは非常に強力な「心理的報酬」として働きます。だからこそ、問題が指摘されたとしても、すぐにはやめられないのです。
一方で、餌やりには負の側面もあります。繁殖力の高い猫に餌を与えることで、頭数が一気に増え、過密状態による縄張り争いや感染症の蔓延が起こります。また、糞尿の悪臭、騒音にゴミ荒らしなど、地域住民にとっては迷惑行為として受け止められ、深刻なトラブルに発展することもあります。さらには、交通事故や虐待といった新たなリスクが動物たちに降りかかる可能性も高まるのです。
それでも餌やりが続く理由には、誤った認識や情報不足も関係しています。「自分が与えなければ、この猫は飢えて死んでしまう」「誰も面倒を見ないなら、自分がやるしかない」という思い込みや、「一匹の命を救うことが何より大切」とする考えが、行動の継続を正当化してしまうのです。時には「自分だけは正しいことをしている」という強い信念に変わり、周囲の声が届かなくなってしまうことさえあります。
さらに、餌やりを批判された際、「猫が増えたのは捨てた人間のせい」「責任を取るべきは遺棄した人であって、自分ではない」と主張するケースも少なくありません。このような責任の転嫁は、餌やりを“善意の行為”と捉える心理から生じており、動物愛護の立場を取っているという自負が、客観的な問題認識を妨げることがあります。
その結果として、「無責任な餌やり」として地域社会や行政が指摘する行為と、「動物を思う心」として当事者が信じている行為との間に、大きな認識の乖離が生じます。このギャップこそが対話を阻み、解決を遠ざけているのです。
問題を本質的に解決するには、まずこの「やめられない心理」の存在を正しく理解する必要があります。感情を排除したルールや一方的な批判ではなく、行為の背後にある孤独、共感、使命感といった内的動機を把握したうえで、社会全体として支援や代替行動を提案するアプローチが求められます。
たとえば、餌やりではなく地域全体で猫の健康や安全を守る活動に参加してもらうよう促すこと。孤立した人々に対して、動物以外にもつながりを感じられる場や機会を用意すること。いずれも、行動そのものではなく、「なぜその行動をとるのか」という動機に寄り添う姿勢が出発点となります。
野良動物への餌やり問題は、単に動物との関わり方を問うものではありません。それは、現代社会における孤独や無力感、そして“善意のかたち”がもたらす影響を映し出す、私たち自身の課題でもあります。責めるでもなく、放置するでもなく、その背後にある人間らしさに目を向けたとき、初めて問題解決への糸口が見えてくるのではないでしょうか。
元の投稿: 犬や猫とハッピーに暮らすための情報と最新ペットニュース - ペトハピ [Pet×Happy]
なぜ野良動物への餌やりはなくならないのか──「かわいそう」の裏にある心理的報酬
