【呉慶軍】
呉慶(ごけい)
甲(こう)という小国で王族として生まれるが趙(ちょう)により滅ぼされる。
その後に魏国に移り大将軍まで上り詰める。
知略型といわれ軍才は魏(ぎ)随一。
秦(しん)に責められた蛇管(だかん)平原の戦いでは、丘を占有し優位な状況を作るが、本能型と言われる麃公(ひょうこう)に強行突破される。
部下に「退くための計略の数は五十ある」と言うが、侵略者に祖国を奪われた経験から、麃公と一騎打ちを望む。
知将ながら序盤は互角の戦いを見せるが、力及ばず敗れる。
麃公は呉慶の敗因を「将の責務より私情を優先させた」と語る。
息子の名は呉鳳明(ごほうめい)。
後に魏国で台頭する武将となる。