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「フェアレディZ」がスーパーGTに帰ってくる! 実は半世紀に及ぶ意外と熱い「Z戦記」を振り返る

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国内外で数々の栄光を手にした「Z」

 国内モータースポーツの最高峰で、世界的にも注目を集めているSUPER GTシリーズは、11月の末に富士スピードウェイで行われた第8戦をもって今シーズンのプログラムを終了。日産がシリーズに投入していたNISSAN GT-R NISMO GT500も、同レースをもって現役から退くことが以前から発表されていました。

 その1週間後、12月5日には同じ富士スピードウェイを舞台に、次期参戦マシンとなるNISSAN Z GT500のお披露目会が行われました。GT-Rとともに日産のモータースポーツをけん引してきたZのモータースポーツ史を振り返ってみました。

新型フェアレディZの走行シーン

レースに参戦してラリー仕様を開発

 フェアレディZの初代モデルが登場したのは1969年11月のことでした。同年2月にはスカイラインにGT-Rが追加設定され、そのGT-Rと同じS20エンジンを搭載するZ432がトップモデルに位置づけられていました。ですが、やがてL20エンジンの排気量を拡大したL24エンジンを搭載するフェアレディ240Z(輸出名はDATSUN 240Z)が登場。スカイラインGT-Rと2トップで、日産のモータースポーツをけん引することになりました。

市販車の240Z

 もっとも、当初はサーキットレースでの活躍が目立っていました。ですが、そのうちにサーキットレースは、ラリー仕様の開発の実戦テストの場としてとらえられるようになり、海外の高速ラリーに参戦するワークスZを開発するためにさまざまなパーツがテストされています。

 それまでラリーの主戦マシンだったブルーバードとフェアレディ240Zは、メカニズム的に見ても“兄弟分”的なところも多く、ブルーバード用L型4気筒のL16エンジンを6気筒にしたのがL24とは広く理解され、4輪独立懸架のサスペンションも4輪ストラットと基本設計は同じと考えられています。ですから、ブルーバードから240Zへの移行はスムースに行われたのかもしれません。

 240Zのラリー実戦デビューは、70年のRACラリー(現ウェールズ・ラリーGB)でした。ディーラーチームからのエントリーでドライバーを務めたのはラウノ・アルトーネン選手で、これはワークスチームとしてのデビュー戦となる71年のモンテカルロ・ラリーに向けてのテスト参戦の意味合いが強いものでした。

モンテカルロラリー参戦車

 じつは70年の初頭にはアルトーネン選手を起用して、モンテカルロで実走テストを行ったところ好感触を得ることができ、年末のRAC、そして翌71年のモンテカルロに繋がっていったのです。70年の初頭と言えば、国内ではZ432Rが北野 元選手のドライブで鈴鹿300kmにレースデビューを果たしていましたが、ほぼ同時期にラリーでもワークス活動が開始されたいたのです。

鈴鹿のレースに参戦したフェアレディZ

 クルマはZ432Rではなく240Z。以後もラリーでは240Zが主戦を務め、一方で国内レースにおいてもZ432Rは活動がプライベートに託され、ワークスチームは240Zに主力を移していくようになりました。そしてプライベートでも有力どころはトルク特性に優れた240Zに移行し、最終的に高回転高出力のS20エンジンを搭載したZ432Rはサーキットから姿を消すことになりました。

サファリラリーで大活躍

 海外ラリーにおける240Zの活躍は、とくにワークスが力を入れていたサファリラリーで顕著でした。71年にはエドガー・ヘルマン選手とシェッカー・メッタ選手が1-2フィニッシュ。ヘルマン選手は前年のブルーバードでの優勝に続く2連勝となりました。また、73年にはメッタ選手が優勝を飾っています。

71年サファリラリーで優勝

 その後、海外ラリーではバイオレット(PA10)や240RS(BS110)などが後継として活躍するようになり、240Zは海外ラリーから引退することになりました。その一方で国内ラリーでは初代モデルでプライベートが参戦した記録もありますが、ワークスチーム(NISMO)による参戦としては85年、神岡政夫選手を擁して3代目(Z31)の300ZXターボで参戦。Cクラスでチャンピオンを獲得したことが思い出されます。

 当時はレギュレーションでチューニングが厳しく制限されており、市販モデルでハイパワーを発揮していた300ZXターボが威力を発揮。ライバルに比べて大柄なボディのハンディを跳ね返し、ツール・ド東北で2勝目を挙げたことが戴冠の大きな要因となりました。また87年には同じ3代目の200ZR-Iでも参戦していました。近年では5代目のZ33が三好秀昌選手のドライブで、全日本ラリー選手権の2輪駆動部門に姿を見せていたことが思い起こされます。

Z33のラリー仕様

初代モデルは国内レースで活躍するも2代目以降は北米に活路

 国内でのメジャーレースデビューとなった70年の鈴鹿300kmで、ポテンシャルの一端を見せたフェアレディZ432R。前にも触れたように半年後にワークスから高橋国光選手と黒沢元治選手のコンビで富士1000kmにデビューし、見事なデビューウィンを飾ってからというもの、主力は240Zへと移行していきました。

富士1000km仕様のフェアレディZ

 そして72年には柳田春人選手が富士グランチャンピオン(GC)レースで雨のなか、並みいる純レーシングカーを抑えて勝ち“Zの柳田”と評されるようになりました。翌73年にはL型エンジンのカウンターフロー式ヘッドを、同じOHCながらクロスフロー式ヘッドにコンバートしたLY24エンジンを搭載した240ZRが誕生。デビュー戦となったレース・ド・ニッポン6時間は散々な結果に終わりましたが、1カ月後に行われた鈴鹿1000kmでは見事総合優勝を飾っています。

GC仕様のフェアレディZ

 LY24エンジンはLY26、LY28を経て最終的には3L近くまで排気量を拡大。78年には柳田選手が富士GCサポートレースのスーパーツーリング&GTレースでシリーズチャンピオンに輝いています。しかし、78年のフルモデルチェンジで登場した2代目(S130)は、国内レースでは富士の耐久シリーズにプライベーターの“権田坂280Z”が出場した程度で、活躍の舞台は北米に移っていってしまいました。

 その北米では初代モデルがSCCAのプロダクションカーレースで活躍していましたが、2代目に移行したあたりからはIMSAの人気が高まっていった。先ずは初代モデルのHS30でIMSA-GTUクラスに出場した240Zは、75年、76年とシリーズを連覇して2代目のHS130にバトンを繋いでいます。そのHS130もデビューシーズンの79年にGTUのタイトルを奪還すると翌80年にはGTOにステップアップ。82年には280ZXを駆るドン・デベンドーフ選手が、ドライバーズチャンピオンに輝いています。

1980年にIMSAへ参戦したフェアレディZ

 280ZXはL28エンジンをターボで武装して550psを絞り出していましたが、エンジンをプレジデント用の4.1L V12に乗せ換えたダットサン・ターボZXは、さらに大パワーの750psを捻り出し、こちらも大きな存在感を放っていました。そして3代目のZ31、4代目のZ32も引き続きIMSA-GTシリーズで活躍を続けます。そしてGTOからGTSへと名称が変更された92年には全11戦で5勝を挙げ、日産にマニュファクチャラータイトルをもたらすことになりました。その後Zのレース活動は、その活躍のメインステージを北米から、ふたたび日本国内へと移すことになりました。

IMSAシリーズに参戦したZ32

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