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今や億超えも当たり前のランボルギーニ「ミウラ」! 伝説のスーパーカーはボディができる前から歓呼の声に包まれ誕生

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「スーパーカー」に求められる全てを備える「ミウラ」

 スーパーカーの明確な定義はなく、必然的にその最初のモデルが何だったかも、諸説分かれるところですが、ランボルギーニ「ミウラ」をその嚆矢とみる向きが多いようです。流麗なボディのミッドシップにV12エンジンを搭載した、というパッケージは紛れもないスーパーカーですが、そんなミウラを振り返ります。

シャシーのみ「様子見」で参考出展したら予想外の大反響

 ランボルギーニはトラクターの製造で財を成したフェルッチオ・ランボルギーニが、フェラーリに対抗する高級スポーツカーを製造すべく1963年に興したスポーツカーメーカーです。正式な社名はアウトモビリ・ランボルギーニ(Automobili Lamborghini S.p.A.)と言い、1978年に一度倒産したのちは経営権が二転三転することになりましたが、1999年にVWグループの一員であるアウディの傘下に入り、経営も安定。現在ではV12エンジンをミッドシップに搭載する「アヴェンタドール」と、V10を搭載する「ウラカン」の2シリーズのスポーツカーに加えて、4LのV8ツインターボを搭載したSUVの「ウルス」も製造しています。

 かつて新規参入メーカーのランボルギーニを、一気に高級スポーツカーメーカーのトップ、フェラーリと比肩するまでに知名度を高めることになったモデルがミウラです。まずはそのデビューが衝撃的でした。1965年のトリノ・オートショーで、コンセプトモデルのTP400がワールドプレミアとなったのですが、その時点では正式名称が与えられていなかったばかりか、なんとボディカウルもない、スチールパネルで作られたスペースフレームのミッドにV12エンジンを搭載したローリングシャシーのみで発表されたのです。

TP400のローリングシャシー

 ただ、ボディがないその状態でもオーダーする気の早い客もいたようで、ある意味「様子見」で出展したランボルギーニにとっては予想していた以上の反響となりました。

 ある意味「様子見」というのは当初、ランボルギーニを率いていたフェルッチオは、レーシングカーをイメージさせるミッドシップレイアウトはお気に召さなかったようで、最初はその提案を却下していました。しかしジャンパオロ・ダラーラやパオロ・スタンツァーニら若手エンジニアが就業時以外の「余暇活動」としてコンセプトをまとめて設計図として具現化したもので、これを見たフェルッチオ御大も、レースに参戦しない代わりの話題作りとしてトリノ・オートショーに参考出展した、という経緯があったのです。

市場の熱狂に応えガンディーニがスタイリングに腕をふるった

 結果、このように予想外の大きな反響を巻き起こし、ミウラは本格的にランボルギーニ社を挙げてのプロジェクトとなり、ボディデザインと商品化に際してのボディ架装をカロッツェリア・ベルトーネに依頼。ジョルジェット・ジウジアーロの後任として、ベルトーネのチーフデザイナーに就任したばかりのマルチェロ・ガンディーニがスタイリングに腕をふるうことになりました。

 こうして流麗なボディを持ったランボルギーニ・ミウラが誕生し、翌1966年のジュネーブ・ショーではコンプリートカーとしてワールドプレミアを行い、翌1967年には市販が開始されています。ただし顧客層からの声に応える格好で市販開始を急いだあまり、P400と呼ばれた初期モデルでは熟成不足が明らかとなってしまいました。それでもランボルギーニではマイナーチェンジを重ねるとともに改良を続けていき、P400S、P400SV、と発展(進化・熟成)しながら完成度を高めていきました。

ミウラP400SV

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