グループB時代の怪物アウディ、国際オークションに再び登場
1980年代中盤のWRC(世界ラリー選手権)は「狂瀾のグループB時代」と呼ばれています。最少生産台数200台という条件のもと、ラリーで勝つことのみを目的としたマシンたちが激闘を繰り広げた恐るべき時代には、各自動車メーカーがそれぞれの英知を結集した怪物ラリーマシンが投入されました。とくに元ワークスマシンは今でも最上級のコレクターズアイテムとして愛好家を魅了し続けています。2024年5月10日〜11日に、地中海に面した見本市会場「グリマルディ・フォーラム」で開催されたRMサザビーズ「MONACO」オークションでは、これまでAMWでもしばしば取り上げてきたアウディのモンスター「スポーツクワトロS1 E2」が出品。今回は、その最新オークション結果についてお伝えします。
ラリーの常識を変えたクワトロの最終進化形とは?
グループB時代には史上最強のラリーカーが続々と生み出され、前代未聞の開発と革新が促進されたものの、アウディとそのゲームチェンジャーとなった「クワトロ」ほどに、それを体現したクルマやメーカーはなかったと思われる。その革新的な4輪駆動+ターボチャージャーのコンセプトは、1984年までに計3回ものWRCドライバーズタイトルとコンストラクターズタイトルをもたらした。しかし、後輪駆動のライバルよりも優位に立つ一方で、元祖クワトロは重量オーバーかつノーズヘビーだった。
くわえて1983年になると、プジョーやランチアなどのライバルから、より機動性に優れるミッドシップ4WDの投入が噂されていたことから、それに先んじるためにアウディは1984年に「スポーツクワトロ」を発表する。ところが、驚異的な出力を得たにもかかわらず、超ショートホイールベースのレイアウトはトリッキーなハンドリングへと繋がり、ドライバーは苦労を強いられた。1984年の世界チャンピオンとなったスティグ・ブロムクヴィストは、タイトル獲得が決定的な情勢となるまで新型車の使用を避け、「ビッグクワトロ」に固執した。
そしてこの状況が、グループB時代でももっとも恐るべきラリーカーのひとつであるアウディ「クワトロS1 E2」の開発へとつながってゆく。この「エヴォリューション」モデルは、DOHC 20バルブのアルミヘッドを備えた2110ccのアルミ製ブロックにKKK社製ターボチャージャー1基を組み合わせ、グループBラリーカーの中でも最高となる550psのパワーを獲得。軽量カーボンケブラー複合材のボディワークと4輪駆動の組み合わせにより、0-100マイル(約160km/h)を8.9秒という驚異的なパフォーマンスを得た。
しかしE2における最大の目的は、重量配分の大幅改善とダイエット計画である。ラジエターやファン、さらにはオルタネーターなど、より重いコンポーネントの多くをリア側に移動させ、車両のトレードマークとなったワイルドなボディワークと巨大なフロントとリアのウイングは風洞テストによって形作られ、トータルのダウンフォースは大幅に改善された。
この伝説的なラリーウエポンは、FIAグループB「エヴォリューション」規約によりわずか20台のみが、アウディのインゴルシュタット本社工場内のスポーツ部門ファクトリーで組み上げられたという。
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およそ1億円でもリーズナブルと思われる理由は? ラリーで超有名なアウディ「クワトロS1 E2」にはWRCチャンピオンたちのサインがたくさん!